私とエヴァンゲリオン(随筆)

私とエヴァンゲリオン

私にとってエヴァンゲリオンは「青春のすべて」であった。1997年3月。列島にオウムと震災の余波がまだまだ燻る中、当時該作品の主人公と同い年(14歳―中学3年生)であった私の熱狂的体験記を、私小説風に2009年(執筆当時26歳)になって書き起こしたものを掲載する。この作品が無ければいまの私は存在していないであろう。なお、該引用ポスター撮像は、YAHOO!JAPAN映画より引用している。


私掌編小説『1997年3月16日』

街全体が異様な雰囲気に包まれていた。1997年の3月16日は、私たちエヴァンゲリオンのファンにとっては記念すべき日であった。そう、エヴァンゲリオン劇場版シト新生の公開である。深夜の1時をまだ回っていないというのに、街の中心部へ近づくにつれ、すなわちこの街の唯一の劇場公開館へと進むにつれ、明らかに異様な風体の男たちが我先にと小走りで夜の闇をかけているのである。

常識的に考えて、仕事上の用事でもない彼らがこの時間にこの付近にいるのは、もはや私と同類、すなわち記念すべき本日第1回目の上映が目的だと考えて間違いは無かった。夜目に真っ黒く見える劇場が視界に入るにつれ、私を含めて計3人の同行諸士も己の考えの甘いことを痛感した。

初回上映までまだたっぷり10時間以上あるというのに、既に劇場の入り口から行列が発生していた。私は前から順番におよそ目算したが100人は優に超えているようであった。最前列の者など、携帯用の小型コンロに鍋をかけて煮炊きをし、この北国の3月初旬の寒さを凌ごうという徹底振りである。

私たちは列の最後尾へと周り途方にくれていた。まさかこの時間からこんなに多くの人間が行列を作るとは予想外であった。しかし、まだ深夜の1時であるのに、どこからとも無く集まってきた青年たちが我先にと瞬く間に私たちの後続についていくのである。2時間、3時間経つにつれて北国の深夜の寒さは普通なら我慢しがたい温度に下がっていったが、私たちの行列はそんなもの何ら構わないという風で、ほとんどのグループが偵察をだして近くのコンビニエンスストアで暖かい飲み物や弁当を買ってきて氷点に近い寒風の中寒さを凌いでいるのであった。その間にも、私たちは作品に関する各話の批評・劇場版などの予想に関して口々に語り合うのだった。

空が徐々にだが白んできて、既に行列は私が到着したときの4倍ないし5倍以上に膨れ上がっていることが分かった。驚いたことに行列は、映画館の敷地を遥かに越えてその隣の高層アパートとテナントビルをこえ、更に約百数十メートルを直進して交差点で折れ曲がり、更に蛇行して同じように百数十メートル行き、その角の交差点を折り返し地点として二重にとぐろをまいている。もはや何百人いるのか見当もつかない。

われわれはまるで人の柵のように街の一角の番地をぐるりと占有するまでの勢力になっていたのだった。私たちの行列の横を早起きの通行人や自動車が通るようになった。彼らはみなこの異様な状況に驚愕しているようであったが、劇場の正面に馬鹿でかく掲げられた作品の看板を指差してなるほど原因が分かったという者もいれば、君たちは一体何に並んでいるのかと興味深深に聞いてくる通行人も多数いた。そのたびに私たちのだれやそれやがエヴァンゲリオンと答えたのであった。彼らは夜明けから異常な数の行列が劇場の前に並んでいることなど初めて見る光景だったのだろうが、私たちとて初めての経験だったのである。

上演まであと2時間というところで、出勤してきた劇場の職員らがようやくこの異様な量の行列の整理に着手した。当初2、3人の職員はとても対応できないということで直ぐに10人以上の警備員が増員され、ひょっとしら1000に近いか超えているかもしれない蛇のような列を1、2、3、4、5、6という風に、まるで甲子園球児を先導するプラガールの如く折り曲げて整理し始めた。しかし、そうしている間にも明るくなった映画館の周りには続々とまるで難民のようにエヴァンゲリオン目当ての観客が押し寄せてくるのである。

日本の最も北にある自治体の、一都市ですらこの有様なのだから全国各地ではどのようなものであるか容易に想像が出来た。この時点で既に、拡声器で警備員がここまでで夜までの回は終了である、今日はもう入れないというアナウンスを声をからしながら何度も何度も叫んで次々と並ぼうとした人間たちは追い返されて途方にくれているようであったが、強引に後尾に割り込もうとする猛者もあった。まだ1回目の上映すら行っていないのに、夜の回まで全て満席というのは前代未聞の珍事であった。そしてこの騒動ですら、劇場公開から既に2日目の出来事なのである。(了・2009年寄稿)