私とフィリピン(随筆)

私とフィリピン

フィリピン・ダバオ市においてドゥテルテ比大統領の自宅を警備する比軍兵士と(2016年)

先の大戦中、中国大陸を除き、最も日本軍兵士の戦死者が多かったのが比島(フィリピン)であることは、余り知られていない。この大小7000からなる島国で、50万人に及ぶ日本兵が死亡した。投入兵力は75万人であることを考えると、戦争末期(レイテ戦以降)、日米比におよぶ如何に凄惨な戦闘(日本側呼称・比島決戦)が繰り広げられたのかは書くまでも無かろう。

私がフィリピンという地に興味を持ったのは恥ずかしながらごく数年である。日本にとってアジアの隣国で話題になるのは韓国、中国、台湾の三カ国がほとんどである。我が政府は認めていないがこれに北朝鮮を加えて四カ国。然るにフィリピンと日本はバシー海峡をまたいでほぼ隣国と言って良いのに、ほとんどマスメディアにその名前が取り沙汰されることは無い。東京からマニラまでは約5時間。セブ島を除き、日本人観光客の東アジアにおける主要渡航先は、上記の三カ国を除けば、タイ王国、シンガポールに集中している。まさにフィリピンは、日本にとっては盲点そのものである。そしてフィリピンに関する著作で本邦で最も有名なのは『バナナと日本人』位で、一等の知識人でもフィリピンに関する基礎知識は欠如の域にあるものも少なくは無い。あれほど大戦下、フィリピンは戦略的に重要視され、そして余りにも多くの日本軍兵士が死んでおきながら、戦後日本においてフィリピンは盲点で有り続けたのである。

戦史を訪ねるのを個人的ライフワークにしている私は、特にフィリピンに於いてその感慨を強くする。それはフィリピンにおける先の大戦の爪痕を観る事であること以上に、アジア唯一のカトリック教国であるフィリピンが歩んだ、スペインとアメリカに蹂躙され続けた苦難の植民地時代500年の被搾取の記憶とは裏腹に、彼ら人民の底抜けな多幸感と楽観的現世主義である。嫌いでは無い。いや寧ろ、極めて強い親近感を覚えた。ここはアジアの中でも特殊に突出した熱帯の国であると結論したときには、私はすっかりフィリピンと言う国の虜になってしまったのである。

フィリピンは、アメリカが仕掛けたむちゃくちゃな米西戦争(1898年)の結果、旧支配層であるスペイン勢力がほぼ駆逐され、新しくアメリカの庇護の元20世紀を迎えるに至った。アメリカはフィリピンに教育とインフラと最小限の自治権を与える見返りに、フィリピンを太平洋の西端における軍事的拠点として徹底的に要塞化した。コレヒドール、クラークフィールド(空軍)、スービック(海軍)がその筆頭である。

しかし戦後、刹那の日本軍の占領の後に戻ってきたアメリカに対し、フィリピンは数十年の時を経て抵抗の牙をむいたのであった。親米独裁政権であったマルコスがハワイに追放された1986年の人民革命である。勢いに乗った民衆とアキノ新大統領は、1991年フィリピンの真の自主独立を達成するために在比米軍の全面撤退を決議し、米軍はフィリピン群島から完全に追い出された。現在、極東における米軍はフィリピンに寄港したり共同軍事演習をしたりする場合はあるが、基本的にフィリピンの防衛はフィリピン人民の手によるフィリピン軍が担っている。フィリピンは、米-西500年に及ぶ被搾取のくさびを、自ら解き放って現在に至っているのである。

アメリカに敗北して70余年、ひたすらアメリカの庇護下に安住し、むしろアメリカに追従することが国益であると卑屈な属国精神が日本における「保守」の主力を占めているのであるから、フィリピンのような小国が大国アメリカにNOを突きつけたのは、沖縄、日本本土の将来を占う上で十分すぎるほどの知見を私達にもたらしてくれるであろう。私はフィリピンが好きだ。と言うことで、私のフィリピンに関する著作は一冊だけある。『アメリカに喧嘩を売る国 フィリピン大統領ロドリゴ・ドゥテルテの政治手腕』(KKベストセラーズ、2017年出版)。フィリピンの近世・近代史を振り返る入門書としても良いと思っている。是非読んで頂きたい。

(ドゥテルテ市長時代に劇的に治安が向上したフィリピン第二の都市・ダバオ市庁舎-2016年)
(ドゥテルテ大統領の自宅を撮影・ダバオ市-2016年)