私と竹島上陸(随筆)

私と竹島上陸

世の中で最も信用できないのは、韓国に一度も行ったことが無いのに「韓国経済は崩壊する」という本を書いたり、辺野古に一度も行ったことも無いのに「沖縄の反基地派は中国の工作員である」などと断定する自称保守(ホシュ)の評論家や自称ジャーナリスト連中である。

現地に一度も行ったことが無いのと評論の質は関係が無い、という意見がある。なぜなら、惑星学者は一度も木星やエウロパや天の川銀河のバルジ部分やアンドロメダ銀河に行ったことは無いし、歴史作家は一度も信長や家康に面会したことが無いではないか―、というものである。笑止。このような反論は児戯に等しい。

現実に、ソウルには東京から3万円あれば行けるし、辺野古には那覇からレンタカーを借りれば日帰り取材も不可能では無い。「現地取材することが現在の交通環境から考えて極めて容易であるにもかかわらず、それをしないで物を書く」というのは、知的怠惰以外の何物でも無く、こういうスタイルを取る連中を称揚してはいけない。こういう連中は偽物で有り、必ずどこかの時点でボロを出して世の中から消えていく。

さて、私が物書き、もといライターを始めた当初、最大の問題がこの「現地取材の有無」であった。私が商業ライターを始めた時代、すなわち2010年~2011年にかけて、所謂「嫌韓本・嫌韓記事」という奴が中小零細出版社からバブルのごとく雨後の竹の子のように出た。つまり「韓国が嫌い」という記事やら本が大量に粗製濫造されたが、その渦中に恥ずかしながら小生も半身を突っ込んでいたのである。

この「嫌韓本・嫌韓記事」の依頼というのが、大量に私のところにも来た。「まあまあ早い、まあまあ安い、且つ完成度そこそこ良」の売文がウリの私にとって、韓国政治や韓国歴史は得意とするところだが、必ず依頼の中に入ってくるのが「竹島問題」である。竹島(韓国名・独島)は李承晩ライン以降、韓国警備隊に占拠されたままの状態で有り日本政府は本邦固有の領土と言っているわけだから、当然記事は日本側の立場に立って韓国の不法性を糾弾する内容になるわけだが、私は竹島に行ったことが無い。

行ったことの無いアイランドの実態をどうやって書けば良いのか。ネットや書籍に散らばっている写真や資料映像だけを見て「韓国けしからん」という記事は馬鹿でも書ける。私は頭の良い人間では無いが、ライターとして馬鹿だとだけは思われたくなかった。残された手段は自分で竹島に上陸してみることだ。

この単純動機から、私は紆余曲折を経て2012年竹島に上陸することに成功した。思えば私にとって、20代最後の冒険であった。二度と行くことは無く、また二度と行くことも出来ないだろう。

現在でも持っている竹島に対する私の印象は「日本海に突き出た奇妙な二つの奇岩」。平坦な場所はほとんど無く、樹木も生えていない。島と言うよりは巨岩で、日韓国交回復交渉の過程で、「いっそのこと爆破した方が良い」という意見も日本側から漏れ出たほどだという。もし可能ならば私もこの意見に賛同する。爆破して海の藻屑とした方が却って日韓関係の為に良いのでは無いか。竹島を巡る領有権の歴史は、『竹島は日韓どちらのものか』(下條正男、文藝春秋、2004年)が最もわかりやすく中立的な本であるのでこちらを参照されたい。

さて当然竹島に上陸した私は、その体験談を本にした。いやむしろ、出版することを前提に竹島に渡航したのである。2012年に出版した『竹島に行ってみた!』がそれで、韓国入国から鬱陵島渡航、そこから竹島に至る航路と現地の写真など「これでもか」というほど詳細に記述してある(―ちなみに、同書内にはソウルの独島ミュージアムと鬱陵島の独島記念館の詳細もある)。思い出深い旅行記のような本だ。

この本の版元は、株式会社青林堂で、同社と私の関係が疎遠関係になってからしばらくして後、同社はさんざ「ヘイト出版社」などと罵られた(―いやはや現在でも罵られ続けている)が、何を隠そう私の竹島上陸は、同社社長である蟹江幹彦氏の「あっ、古谷君さあ。竹島行ってきたら?」の鶴の一声と取材費拠出が無ければ実現しなかったことである。悔いが残るとすれば同書のタイトルを「行ってみた」などという軟派なものでは無く、『竹島探訪記』もしくは『竹島旅行記』にしたかった処だが、こればかりは致し方ない。蟹江さんどうもありがとう。