・代表選出馬の決意(一揆から潮流へ)HOME ・代表選挙に際しての4大方針 ・候補者プロフィール ・私の考え方 <私が共同代表になった際には、現在のれいわ新選組における”マニフェスト”、つまり「れいわニューディール(衆21)」(参22)等における公約を原則的にすべて継承いたします。さらにこれに加え、以下を私独自の方針として、党の公約として掲げることを検討します> ・財政/金融政策/税制 ・住宅政策 ・雇用/労働 ・自動車税制の改善 ・ヘイト規制 ・教育/文化 ・憲法問題(第9条) ・自衛隊/防衛 ・対米自立(在日米軍等) ・外交/歴史観 ・核燃料サイクルの放棄(原子力政策) |
<私が共同代表になった際には、現在のれいわ新選組における公約に加え、以下を党の公約として掲げることを検討します> ・日本人の賃金が上がらないのはなぜでしょうか?素直に回答すれば、日本市場に成長余地がない(どころか縮小)とみなされており、であるからして民間企業がさまざまな投資を行わない結果、投資がない以上成長できませんので、ひいては成長しない市場の労働者に賃上げをする意味は無いので、賃金上昇の努力を放棄(ほうき)しているからです。 日本の労働者はストライキを滅多に起こさず、与えられた労働がいかに苛酷(かこく)であっても、職務に従順であることが美徳とされています。「我慢することが日本人の美徳」「たとえ賃金が上がらなくとも、やりがいがあれば良い」などという間違った労働価値観がはびこっています。労働の対価は給与のみによって表現されるものであり「感謝」とか「やりがい」とかは1円にもなりませんので何の意味もありません(そもそも日本人は、近世期であっても「郡上一揆」等のように、間違った為政者の行いに対して実力を行使してきたのであり、我慢を美徳とする精神性を持っていたわけではありません)。 「お客様の笑顔のために」というスローガンが金科玉条(きんかぎょくじょう)のごとく持ち上げられ、まるで「労働は社会貢献である」かのごとき間違った労働価値観が広がりました。「お客様が笑顔になってくれるか否か」は本来、労働者が気にすることではなく、経営者が関与するべきことであり、労働者には関係がありません。このような異常で不気味な価値観が広がったのは、経営者側にとっては賃上げをしない格好の理屈になるからです。経営者にとって、労働者が自己の労働を「社会貢献」であると考えてくれれば、これほど都合の良いことはありません。 マスメディアの取り上げ方も疑問です。「過酷な環境の中で、現場は頑張っている」というような物語ばかりがもてはやされています。過酷な環境であっても、給料が充実していればまだわかりますが、実際にはそうなっていません。歪んだ構造自体に対しては批判の矛先を一切向けず、個人の努力とか忍耐のみにフォーカスして、そればかりを物語化しています。これは間接的な労働者への搾取の追認ではないでしょうか。 加えて、不当に給料が低い構造自体は批判せず、「限られた給料の中でいかに節約をするか」という特集ばかりがブームとして宣伝されます。給料が増えている中でもなお、選択的に節約しようとするのならわかりますが、給料が据え置かれたり減っている中、節約しなければならない現状は、端的に言って労働環境に問題があるのであり、労働者の能力のせいではありません。にもかかわらず、「いかに節約をするか」という特集にメディアは汲々としています。「年収200万円でいかに幸せに暮らすか」という趣旨の企画等が大ヒットしたのがその証拠です。重要なのは200万円とか300万円でいかに暮らすか、ではなく、「なぜ200万円しか払われていないのか」という批判的精神のはずです。しかしこういった目線は弱く、労働者の多くは窮乏(きゅうぼう)する現状を追認し、「我慢するという、まったく意味のない美徳」を見出しています。 このような精神を抜本的に改良することが求められます。経営者に自己批判を求めることも重要ですが、労働者に契約の概念と労使関係に対する批判的な価値観を育むことが急務です。 |